コラムっぽいことを書こうと思います。
先だって転職し、4/1から新しい仕事を始めますが、この1年は私にとって良くも悪くも(悪いほうが遥かに大きいが)いい経験になりました。まだリアルタイムに進行中なので全部を言えませんが、人生においては何がもっとも大事かという哲学めいたことを思考ではなく実体験で学ぶことができたのです。
それが表題の通り、“社会に必要とされているかどうか”です。
まず、大雑把に言うと私が転職ないしは独立を目指したきっかけは、前社の実質的経営者とその取り巻き連中どもに会社や自分自身が食い物にされているだけだったからです。”だけだった”というところが大事で、食い物にされても長期的に見返りがあれば許すつもりでした。”だけだった”と発覚したので袂を分かつしかなくなった次第です。
その結果、まもなく私は全てを失うでしょう。
しかし、悲観してはいません。なぜなら私は、失っても取り返すことができるからです。
私を食い物にしてきた側はどうかというと、まさに飢餓に苦しんでいます。いま新しい食い物を探しているのでしょうが、貪欲で欲望に再現がない連中の胃袋を満たせるような食い物はそうそう落ちてはいません。遅かれ早かれ連中も割と多くのものを失う羽目になるでしょう。特に感想はありませんが。
さて、私は失っても取り返せますが、連中はどうでしょうか?
ま、まず取り返すことは不可能でしょうね、まともな方法では。同じような食い物を騙して搾取するしかないですが、それができなければ中期的に窮地に陥るのは連中でしょう。それすなわち、社会に必要とされていないからに他なりません。
例に出すのが適切かはわかりませんが、ホリエモンさんですとか、社会に必要な人間は何とでもなります。悪評や過去の失点は本人が気にするほど社会は覚えてくれてはいませんし、それより今や未来に必要かどうかをまともな人ほど評価します。
私は、転職には困りませんでした。それをエンジニアという職種のおかげとは思いません。なぜなら言うほど楽な仕事ではありませんし、今までかなり苦労をさせられてきました(=搾取)。
その御蔭といってはなんですが、普通のエンジニアはおよそ経験できないような領域や非開発業務(説明資料作成やプレゼン、交渉、折衝、コミュニケーションなど)を全て私が一人でできるようになりました。なおかつ、デザインや開発作業もやっていたのです。フルスタックエンジニアってやつです。正直そうそう怖い案件がないです。
まあ、そんな私がいなくなった前社はさぞ青息吐息でしょう。そしてそんな私に依存していた連中自体にはほぼなんの能力も残っていません。前社の実態はほぼ自分一人の仕事でなりたっていただけであって、会社には何の価値もなかったということです。その会社を個別の人で見たとき、私に社会的必要が集中していたので、転職はすんなりできました。
一方連中は転職する勇気すらわかないようです。おそらく前社と同条件の会社を探しているのでしょうが、そうそうあるはずがありません。3ヶ月以上給料がもらえていないにも関わらず、会社を辞めていないのです。よほど行く場所がないと見えます。私ならさっさと損切りしますし、転職で給料も倍近く上がったので、未来は明るいです。
もう少し時間がたったらこの実態を長文で連載したいと思っていますが、少なくとも私も傷を負いました。しかも全治10年はかかりそうです。ですが、痛みから得るもの、皆さんに共有したいことは、社会に必要とされている限りなんとかなる、ということです。